記憶オモイデ









目覚めはいつもの如く、遅い。しかしいつもと違い、二度寝をせずに頭を起こした彼は、ベッドに 自分しかいないことを確認すると、緩慢な動きでベッドから下りた。何も着けていない所為で、 締め切ってあるとはいえ寒さを感じる。しかし昔と違い、寒暖どちらもに鈍くなっている今の 彼には、多少の寒さは逆に心地好く感じられるのだった。
穿き古したジーンズと、上には開襟シャツを一枚。シャツのボタンは中程を二つばかり留めた だけで、胸元と臍が見える。無防備すぎる、と同居人は言うが、だから何なのか判らなかった 彼は、結局同じスタイルを貫いている。正直のところを言えば、仕事のときはともかくとして、 普段は着替えることすら面倒でならないのだ。ベッドから起きるのも億劫で、一日中シーツに 包まれてすごしたことは少なくない。
そんな生活をしているから、馴染みの情報屋や酒場の主から、呆れ半分に揶揄されるのだ。 気付けば息が止まっているのではないか、と。それに対して笑みもせずに、有り得るな、と 返したのは失敗だったかもしれない。無駄に心配をかけるつもりなど、なかった。

おざなりな着替えを気にするでもなく、廊下へ出る。室内よりも冷えた空気に迎えられたが、 眉一つ動かさずに階段を降りていく。同居人の気配は、リビングにある。昼近くになって起き、 リビングへ行くとエスプレッソの香りが鼻をくすぐり……昔のことを思い出しかけて、彼は眉を 顰めた。
封じた筈の記憶を、今更掘り起こしたところで不快を覚えるだけだ。判っている。あの頃には どうあっても戻れない。思い出すだけ、無駄だ。しかし。

(今日、は)

古い記憶を、夢に見た。それが悪夢かどうか、彼には判らなかった。
リビングのドアを開けると、ソファーに腰掛けていた男が彼の姿を認めて軽く目を瞠った。 驚かれるのも無理はない。彼が自主的に起きることなど、最近ではめったになくなっていたの だから。

「明日は晴れるかもな」

ここ数日、雪が降ったり止んだりの曇天が続いている。丸一日快晴という日は久しくない。

「そうだな」

同居人の軽口をさらりといなし、彼は一瞥を呉れることもせずキッチンへ向かう。背中に、 男の視線。日のほとんどを寝てすごすことの珍しくない彼は、自分の食事のことですら無関心に 出来ているものだから、まっすぐにキッチンへ足を向けたことが男の関心を惹いたのは仕様の ないことだ。

「明日から夏になりそうだな……」

そんな呟きをもらすのが聞こえても、彼は気にも留めない。昔でこそ派手なことを好み、 無意味に命を危険にさらすことを好んだ。生死のぎりぎりのラインを渡るのが好きで、どんなに 無謀なことでも進んでやった。が、今は。

冷蔵庫を開け、少ない中身をざっと見渡す。扉には酒と水と、いつから入っているのか 判らない(そもそも買った覚えもない)ドレッシングのボトル。三段に分かれた棚の下段に、 目的のものが二つ、まとめて収納されている。昨日の余りもの――――買いすぎたと言って、 男が冷蔵庫に入れていたのを彼は覚えていた。
それらを取り出すと、ソファーからじっとこちらを見つめている男が眉根を寄せた。 不快感からの反応ではなく、純粋に彼の行動を不思議がっているのだが、そちらを見ていない ダンテは男が少し表情を変えたところで、気付くこともない。
熱心な視線を見事なまでに無視して、彼は自分ではほとんど使うことのなくなったボールを 探すべく棚を探る。

愛想もなく、何もかもに無頓着な男がキッチンでひとり、何をか拵える姿は、思いの外 可愛らしいものだ。男がそんなことを考えているとは露知らず、彼は黙々とあるものを作る ことに集中した。





男と同居をするきっかけが、何であったか彼は覚えていない。去年の春か夏、そのくらいの 時期からだったように思う。そもそも、男と彼とは知り合う可能性などなかったのだ。 その二人がどういうわけか知り合うことになり、そして当たり前のように同居をしている。 不自然であることは、お互い承知の上だ。

彼は名を、ダンテという。歳は数えていないのではっきりしない。
そして男も、ダンテという名である。歳は二十代半ばかもう少しいっているか、彼と同じで 判然としない。

同名の人間はいくらでもいる。しかし彼らは違った。同じ人間――――悪魔の父と人間の母を 持つ、半人半魔だ。
何故出合ったのか、彼に判るわけもない。気が付けば、こうなっていた。きっかけが何だったか など、彼は覚えていない。

ただ、居心地は悪くないことだけは確かだ。





指についた白いものを、無意識にぺろりと舐める。ふわふわのホイップクリーム。今では あまり食べることのなくなった甘い味が舌に広がった。昨日味わったばかりの味なのだが、 どうも甘みが少し違うように思わなくもない。軽く首を捻りながら、裂け目を入れたパンに ホイップを薄く塗り、その上に時季外れの苺を三つ並べて、さらにホイップを乗せる。
昔は甘いものに目がなくて、馴染みの酒場に寄るたびにストロベリーサンデーを注文した。 今でも嫌いではなく、たまに食べれば自然と笑みが浮かんでいるらしい。指摘をしたのは 馴染みの情報屋だったか。

余った苺を一つ。無造作に口に放り込み、咀嚼する。唇を舐めたのは全くの無意識で、飽きずに こちらを眺めている男が喉を上下させたようだが、何故なのか彼には判らなかった。
出来上がった苺のサンドイッチを乗せた皿を、彼は同じ名を持つ男のもとへ運んだ。彼の意図が 判らなかったのか、男は彼とサンドイッチとを交互に見やった。

「……これは?」

食べて良いのかと、窺いを立てているらしい。一食分しか作らなかったのだから、男が惑うのも 無理はない。が、彼は男が何故食べることを躊躇うのかが判らず、逆に首を傾げた。

「喰わないのか?」

男がホイップクリームと苺のサンドイッチを嫌いだということは、有り得ない。昨日、彼に これを作ってくれたのはこの男で、彼がもくもくと咀嚼するのを眺めながら、己も同じものを 食べていた。好物は同じらしいと、程良い酸味が口内へ広がるのへ無意識に笑みを浮かべながら 思ったものだ。

男はぽかんとしていたが、はっとしたように我に返って苺のサンドイッチを手に取った。

「もちろん、喰うさ」

嬉しそうに、一口囓る。ホイップが口の周りについているが、男は気にもせず続けてもう一口 囓った。

「ん、旨い」

嘘ではないのだろう。曇りのない笑顔を見て、彼も微笑した。と、男が何やら、こちらを 見上げてぼけっとしている。

「? 何か付いてるか?」

男のように、ホイップが付いているのかもしれない。頬を撫でると、男が「そうじゃねぇよ」と 苦笑した。

「なら、何だ?」

「んー……、とりあえずさ、ここ座れよ?」

ソファーの、男の右隣を顎で示されて、彼はすとんと腰を下ろした。当然のように腰に腕を 回されるが、抗うことはしない。この程度の接触は、もう慣れた。

「なぁ、なんでいきなり、これ作ってくれる気になったんだ?」

顔を覗き込んでくる男から、彼はちょっと視線を背けた。言及を逃れようとしてのことではなく、 即座に答えることが出来なかったからだ。が、男には彼が逃げたように思えたのだろうか、 こっち見ろよ、と責めるではないが、言う。

我ながら、確かに唐突だったと思っている。しかも自分の食べる分は作らなかったのだから、 余計に不審だ。
昨日作って貰ったからお返しに、というのは理由にならない。毎日、飯の支度をしているのは 男なのだ。今日だけ特別、など言ったところで信じられるものではない。

では、何故。

彼は流し目を呉れるように男へ視線を戻した。

「……夢、」

ぽつりとした囁き。男が眉を顰めた。

「夢? ……って?」

どういう意味かと男が問うてくるのへ、彼は小さく首を左右にした。

「いや……、何となくでしたことだ。気にするな」

「すっげぇ気になるんですけ……ッ!」

男が息を飲んだ。彼が背筋をしなやかに伸ばして男の口許を舐めたからに違いないが……

「そんなに驚くことか?」

舐め取ったホイップが舌の上で溶ける。出来は上々だ。一人で満足していると、男の腰に 回された腕に力がこもるのを感じた。次の瞬間には、唇を奪われていて。

「んっ……!」

荒っぽく、舌を探り当てられてきつく吸われる。突然、何故こういうことになったのか、彼は 判らず目を瞬かせた。その間も、男はに口腔を蹂躙される。苺のサンドイッチを食べていた お蔭で、文字通り随分と甘酸っぱいキスだ。角度を変えつつ、貪るように舌を吸う男の服の裾を、 ほとんど無意識にきゅっと掴んだ。

「えらく可愛いことするじゃねぇか」

キスの合間に、男が囁く。互いの舌に絡む唾液が垂れて、彼の顎に伝った。男はそれを惜しむ ように舐め上げ、まだ満足がいかないのか、再び彼の唇を塞ぎにかかった。趣向を変える意図 でか、ちゅっとわざとらしい音をさせ、啄むような軽いキスを幾度も繰り返してくる。 いやらしく下唇を甘噛みされては、いかに性に関して淡白な彼でも躰の奥がぞくりと 疼いてしまう。

「っ……ぁ……」

意識せずもれた吐息に、男が何故だか破顔した。

「……笑うな」

睨むが、男の笑みは消えない。

「俺がなんでこんなに嬉しいか、お前には判らねぇんだろうな」

男は手に持ったままだった苺のサンドイッチを、半分囓り、残りを彼の口にあてがった。彼は 仕方なく、それを食べる。

「お前が俺の為に何かしてくれるなんて、初めてなんだぜ?」

だから、嬉しい、と。サンドイッチを嚥下し終えた唇をぺろりと舐められ、堪らないといった 勢いで抱き締められる。

「ありがとうな」

耳に囁かれる、本当に嬉しそうな声。
彼は目を瞑り、男の背に腕を回した。返す言葉は、紡げなかった。





夢を見た。古い記憶だ。

双子の兄に、甘い茶色のハートをたくさん贈った、あの日の夢を。



比べたいわけではない。けれど、ふとしたとき、兄を思い出してしまうことを、自分では 制御できないから。
きっと、また。

まるで似ていない男に兄を重ねては、ため息を吐く。



















戻。



ここの2ダンテは兄としっかり関係有。
反対に1ダンテは兄とは普通に兄と弟。
夢、見させてください…