贈物
迷子のうさぎ。不安げな紅い瞳をきょろきょろさせて、必死になって探すのは――――
「……何で?」
ダンテが思わず発した言葉に、目の前で滔々と語っていた少女がきれいに整えたのだろう柳眉を
顰めた。
「あんた、話聞いてたの?」
頭が悪いのじゃないかとばかりの言いように、ダンテもさすがにむっとした。が、相手がこの
少女とはいえ女性では、強く出ることの出来ないダンテである。唇を尖らせ、いちおう、と
応じた。
「じゃあ、何が嫌なのよ?」
吊り目がちの色違いの瞳で睨まれて、ダンテはちょっと後退る。この少女――――ダンテは
レディ(お嬢ちゃん)と呼んでいる――――に、苦手というのではないのだが、いつも丸め
込まれてしまうのはいかがなものか。愛する母の影響か、はたまた父の影響か、女性に対しては
頭が上がらないのをダンテは自覚していない。気の強い女性など相手にしていると、その傾向は
さらに顕著になるらしい。
ダンテはたじろぎながら、後頭部を掻いた。
「話は判ったけど……何で、俺が?」
お前は頭が足りないとは、よく双子の兄から言われているダンテだけれども、理解力がまるで
ないわけではない。ただ、話を理解することと納得することはまるで別なのだ。
少女はどこか憮然として腰に手をあてた。黙っていれば文句なしの美少女だというのに、鋭い
眼差しとめったに笑みの形を取らない唇が彼女にきつい印象を与えている。
「何でも何もないでしょ。あんた、まさか何もしないつもり?」
信じられない、と呆れる少女だが、ダンテからすれば少女のほうが信じられないという気持ちが
強い。そりゃあ、ダンテとて少女の言葉には一理あると思いはするが、しかしだ。
「男が手作りチョコって、おかしくねぇ……?」
独り言のような呟きを、少女にしっかり聞き咎められる。
「こういうことに男も女も関係ないの。気持ちの問題なの、って、言わなかった?」
「……聞いた」
でも、と言い募ろうとするダンテだが、少女が許さなかった。
「ぐずぐず言ってないで、早く来てよ。ここのキッチン使うわけにもいかないでしょ?」
有無を言わせぬ強い語調に、ダンテは渋々、付き合わざるを得なかった。
明日はバレンタインデーだ。半ば忘れかけていたダンテにその単語を思い出させたのは、
テメンニグルの一件をきっかけに知り合うことになった、ダンテと同職の少女だった。
明日のことだけど、もう用意した? と。
ダンテは何のことか判らず、率直に何を用意するのかと問い返した。そんなダンテに少女は
一瞬目を瞠り、それから呆れたように肩を竦めて見せた。
少女はバレンタインデーという単語を口にして、ダンテが双子の兄に何をするつもりなのか
訊きに来たのだという。ダンテは首を傾げて、何かせねばならないのかと、またしても問いに
対して問いで応じた。すると、まさか何もしないつもりなのかと睨まれたのだ。
好きなひとに贈り物をするのは当たり前だ、と少女は柳眉を吊り上げ、今から一緒に
チョコレートを作ろうという話にまで発展した。バレンタインデーにチョコレートを贈るという
慣習は、この国にはない。双子の兄が何故か贔屓にする島国の慣習らしいが、ダンテには
どうでも良いことだ。問題は、何故その慣習に自分が倣わねばならないのかということで。
「……なぁ、お嬢ちゃん」
ステンレス製のボールを半分程占める茶色の液体を、へらでぐるぐる掻き混ぜながらダンテは
少女を呼ばわった。少女は何やらハートや星の形をした型を吟味している。
「何よ?」
棘を含んでいるつもりはないのかもしれないが、どうも声が刺々しく思えてしまう。怯んだのを
悟られないよう、ダンテはちょっとため息を吐いた。
「これ、まだ混ぜるのか?」
飽きもあらわにダンテが言えば、少女はあっさり、もう良いわよ、と言ってのける。それを
早く言え、とはダンテは言わなかった。誰しも自分の命は大事で、ダンテとて例外ではないの
だから。
「時間もないし、型に流し込んで固めるだけで良いでしょ」
選ぶ? と少女がテーブルに並べた型を見やり、ダンテは肩を竦めた。
「……お嬢ちゃんの好きなので良い」
そう言えば、少女はにこりと微笑えんで、ダンテにすっと小さめの型を差し出した。
少女は初めから、ダンテをチョコレート作りに巻き込むつもりでいたのだろう。もしかすれば、と
いうなきに等しい可能性を考慮して、バレンタインデーの用意はしてあるのかと問うたのに
違いない。でなければ、あれだけきちんと材料などが揃っているわけがないのだから。
まんまと嵌められた。ダンテは帰路をとぼとぼと歩きながら、盛大なため息をアスファルトに
落とした。それでも、左手に提げた紙袋を捨ててしまうことはしない。食べ物だから粗末には
出来ない、という理由もある。しかし一番の理由は、やはり双子の兄に渡したいという気持ちが
あるからだ。
あいつがこんなもん、喜ぶわけねぇよ。
ダンテは少女にはっきりと言った。兄はダンテと違って甘いものが好きではなく、まれに口に
入れれば眉を顰めて甘さに文句をつけるのだ。少女はしかし、首を左右にして「大丈夫」と
言いきった。
「こういうのはね、ものじゃなくて気持ちが大切なの。あんたから貰えば、あの鉄面皮だって
喜ぶに決まってるわ」
本当だろうか、とダンテは疑わしく思わずにはおれない。相手は何と言ってもあの兄なのだから、
少女に何度お墨付きを貰っても、不安は拭い切れない。
ダンテが少女に引きずられて家を出たとき、兄も偶然、出掛けていて家にいなかった。書き置きを
する時間もなかったので、もう帰宅しているとすればダンテの不在に立腹していてもおかしく
ない。今日は仕事もなくて、ダンテは一日家でごろごろしている予定だったのだから。
もう一つため息を落として、ダンテは視界に映る自宅兼事務所のドアを見やり、それから左手の
紙袋を見下ろした。
「…………」
喜んで、くれるだろうか。可能性の低さが、どうにもダンテの足を重くしてならない。口の中で
兄の名を唱え、ダンテは意を決してドアを開けた。自宅スペースへ繋がるドアを背に、
双子の兄が待ち構えるように立っていようとは思いもせずに。
小さなハートを象った幾つものチョコレート。細雪のようにふんわりとした
チョコレートパウダーに包まれたそれらを見て、兄がひどく驚いたらしく目を瞠った。
一つ、兄の口にハートが消える。
恐る恐る見つめていた弟の、艶のある髪を兄がくしゃりと撫で。
「ありがとう」
似合わない言葉を、弟にくれた。くれるわけがないと思っていた、言葉。弟はその言葉を待ち
望んでいたことを自覚して恥ずかしくなり、兄を見つめていられなくなって外方を向いて
しまったけれど。
とてもとても嬉しいのだと、兄にはきっと、気付かれているのに違いなくて。
弟はしばらく、床から視線を外せそうにない。
いつものように髪を梳いてくれる兄の指が、心地好かった。
短くてすいません。ものそい急ぎで書きました。