それは裏切りか(――こんな、こと)
くぁ、とあくびを一つ。ぼりぼりと首を掻いて意味もなく部屋のぐるりを見回した。見慣れた
そこは兄の部屋に違いなく、そしていつものように自分一人しかいない。
兄はリビングにいるだろう。いつもそうであるから、さしたる疑問も持たずそう思った。
習慣とは、日常的に疑問に感じることなく繰り返される事象である。
くぁ、とあくびをもう一つ。
ベッドから下り、もたもたと寝着を脱いで床に落ちていた開襟シャツとジーンズに着替えた。
着てみて初めてそのシャツが兄のものだと気付いたあたり、彼の脳はまだぼんやりと眠った
ままであることが判る。まぁ、さほど重大なことではないが。
いつもの目覚め。いつもの朝――というには時間が随分と遅く、もう昼になろうとしているが。
いつものように、ダンテはリビングへ顔を出してから洗面所に行こうとした。しかし。
ようよう覚醒し始めた彼の脳が、ふと、事務所を兼ねた玄関口のほうへ神経を飛ばした。物音。
気配。殺気こそ感じられないが、客のようにも思われず、ダンテは目を細めて意識をそちらへ
集中させた。ざらりと、何かが背骨を撫ぜるような感覚が走る。
(ふぅん……?)
口笛を吹くかたちに唇を尖らせ、ダンテは足音を消すということはせずに事務所へ足を向けた。
リビングにいる筈の兄が、まったく無反応であることへの不審は、なぜだかまったく覚え
なかった。
思いがけない人物と思いがけないときに遭遇した場合、唖然として声も出ないものだということを
ダンテは初めて体感した。
「……何してんの?」
という彼の間抜けな第一声に対し、目の前の人物は笑みを浮かべることもなく、憮然とした表情で
ぼそりと言った。
「Trick or treat?」
あまりにもやる気のない声音と、それを裏切る瞳の鋭さに、ダンテはわけが判らずとにかくも
「はぁ?」と応じた。その反応が気に入らなかったのか、声と瞳とがそれぞれ別人のものの
ようになっている青年が、苛立ちもあらわに繰り返した。お菓子をくれないと悪戯をするぞ、
と。
ダンテはやはり意味が判らなくて、再度「はぁ?」と首をかしげた。それが、どうにも気に
食わなかったようで青年はがりがりと頭を掻いた。
「だから、こっちじゃそう言うんだろ」
そう、とはお菓子か悪戯かという決まり文句のことだろう。確かに間違ってはいない。思い出して
みれば今日はハロウィンであるし、むしろ正解と言って良い。しかしだ、問題はその言葉をこの
青年が使ったということであって。
「何かあったんか、ネロ?」
思わず疑ってしまったダンテの、間抜けなことばかり吐く(と思われたに違いない)唇は、次の
瞬間青年のそれによって塞がれていた。
「玄関先って、有り得ねぇだろ」
唇を尖らせ恨み言を呟けば、青年――ネロという名だ――はまるで気にしたふうもなく「何が」と
しれっとして言った。わざとではないことは、その表情を見ればすぐに判る。ダンテはきりきりと
眉を吊り上げてネロを睨んだ。
「玄関でキスするなんて、何考えてんだっつってんだよ」
ばれたらどうしてくれるのかと、言外に含ませている。幸い人影はなく、誰に見咎められることも
なかったけれども、だ。万一誰かが見ていて、兄にその話が伝わったとしたら。
ダンテは知らず蒼白になった。急に無言になったダンテを訝ってか、ネロが彼の頬をぺちりと
叩いた。
「そんなに怖いのか、兄貴のこと?」
そう問われ、ダンテは首を左右にする。こわいといえば、確かにこわい。とてつもない恐怖として
ダンテを竦ませているのだから。しかしそれは、ネロの言うような恐怖とは違う。
殺されるならばむしろ本望だと思う程度には、ダンテは双子の兄に依存している。
要領を得ないことに焦れてか、ネロが大仰にため息を吐いた。
「ばれないようにすれば良いんだろ」
投げやりとも取れる発言に、ダンテは目尻を赤くしてネロを睨む。そういう問題じゃない、と。
「ばれるばれない以前の問題だろ! なんで……」
なぜか添えられたままだったネロの手が、ダンテの顎を掴むものへと変わる。まずいと思った
ときには、もう唇を塞がれていた。んん、と意味のない呻きが、合わされた唇の隙間からもれる。
それすらも逃さぬようにか、ネロは角度を変えて深く彼の唇を貪った。
「ん、ふぅ、く」
くちゅりと唾液が絡む水音が耳をつく。やけにいやらしいものに聞こえ、ダンテははっとして
ネロの肩に手をかけ腕を突っ張った。ちゅっとわざとらしい音をさせて、唇が離れる。
「……何」
不機嫌そうな声音だ。ネロは体躯でいえばダンテとほぼ同等だが、歳はネロのほうがわずかに
下である。不貞腐れたような表情をして見せると、そのことがよく実感される。
「んな顔したって駄目だ。今日はたまたまバージルがいないから良かったけど……とにかく、
もうこういうことするんじゃねぇぞ」
睨む先の、大人になりきれぬ青年は。じっとダンテを睨み返してきて。その、目が。なぜだか
兄に似ていると思ってしまったのがいけなかったのだろうか。あっと声をあげたときには、
ダンテはソファーに乗り上げる恰好でネロに組み敷かれていた。
「な。……んの、つもりだよ」
不自然にどもってしまったことに内心で唇を噛み、ダンテはネロを押し退けようと腕を掴んだ。
が、びくともしない。ネロは別段、力を込めているふうには見えない。ただの人間とも言いがたい
ネロであるが、ダンテとは違い悪魔を親に持っているわけではない。力ならばダンテが勝る。
だが、これは。
「っ、おい、ネロ、」
退けよと言おうとしたのが判ったのだろう。言わせまいとして、ネロは歯がぶつかるほどの
荒々しさで唇を重ねてきた。まさに噛み付くようなキスに、ダンテは眉をきゅっとしかめる。
「んんっ、ン……!」
目を見開いた。ネロの手が、ジーンズの上から股を掴むように捕らえたからだ。やめろと自由に
ならぬ喉を鳴らして叫び、ネロの肩をぐぐっと押す。しかしネロはまったく身動ぎすらしない
のだ。
「……ちょっと、おとなしくしてろよ」
ダンテのほうが悪いことをしているかのような言い草に、ダンテはかっとなって顔を朱に
染めた。
「おとなしくなんざ誰が! さっさと退けよ、ネロ!」
でなければ、兄が帰って来てしまう。いつ戻るかも判らぬのだ、ダンテは気が気ではなかった。
早く、どうにかしてこの状況を打開せねば、最悪の事態に陥る可能性がどんどん増していく
だけだ。
しかしダンテの心を裏切るように、ネロはダンテを組み敷く力を抜こうとはしない。むしろより
強く、ダンテを自らの下に押さえ込もうとさえして。
「言ったろ。お菓子をくれなきゃ悪戯するって。あんた、俺に何もくれないじゃないか」
やはり、ダンテのほうが悪いという言いようをネロはする。何が悪戯だ。何が何もくれない、だ。
いきなり押しかけてきてこの暴挙に出る自分自身は、どこまでも棚の上ときていることにダンテは
ひどく腹を立てた。
「ネロ!」
怒鳴るが、そうするとネロはいっそう不貞腐れたような顔になり。
「……いっつも、キスしかさせてくれないあんたが悪いんだろ」
また責任転嫁か。ダンテは唇を噛んだ。ネロの言いたいことが、ダンテには半分ほども判っては
いなかった。ただ、ネロが何をしようとしているのかは、判る。
「よせ、ネロ。バージルが……」
「どうだって良いだろ。今は、俺だけを見てろよ」
良くない、と。言いさした口から紡がれたのは言葉ではなく、あっという思いがけぬ嬌声で
あった。ネロが、指先でぐいっとダンテの股をなぞりあげたのだ。
「っや、め」
声が裏返ってしまったことに、ダンテは内心で舌打ちした。男が自身の中心を布越しとはいえ
刺激されて、平然としていられるかといえば九割方不可能だろう。ましてダンテは快楽に弱いと
自覚もしている。しかし、兄がいながら他の男の手によって快楽を得るという行為が、ダンテには
兄を裏切っているように思えてならないのだ。その相手が、たとえネロであっても。
「ネロ……」
「そんな顔しても駄目だよ。まだ、これからなんだから」
宣言し、ネロはダンテの首筋に顔を埋めた。濡れた感触。舌を這わせたのだろうか。次いで
ちくりと痛みが走って、ダンテはぎくっとした。
「! だめだ、跡……っ」
ひょいと顔を上げたネロは、うっそりと微笑みダンテの首筋――痛みのあった箇所をついと
撫ぜた。
「もう、遅いよ」
諦めておとなしくすれば?
死刑宣告をされたように、ダンテは蒼白になってネロを見つめた。その双眸に、これは少々たちの
悪い冗談だという色がないか、必死になって探す。けれど、見慣れているはずのネロの顔立ちは、
なぜだかまるで知らぬ男のそれのように思えて。
ダンテはぶるりと、背筋を震わせた。
気付けば、ダンテはベッドにうつ伏せに横たわっていた。霞のかかった頭を持ち上げ、ごく狭い
範囲をきょろりと見回す。どうやらベッドには自分しかいないようである。当たり前のような
そうでないような、奇妙な感覚にダンテはことりと首をかしげた。
何か、忘れているような。
(…………ネロ)
その名を喉の奥で転がした瞬間、ダンテは文字どおり飛び起きた。ベッドの上で立ち上がるが、
すぐに足が萎えたようになって尻からへたりこんでしまう。その段になってようよう、腰がひどく
重いということに気が付いたのだから鈍いにも程がある。躰全体が怠く、寝転べばそのまま
眠れそうなくらいだ。
「うそだろ……」
茫然と、愕然と呟く。この躰の重みと疲れには、嫌というほど覚えがあるのだからそうならずには
おれない。ダンテは背中を丸めて小さくなった。途方に暮れてはみても、どうすれば良いかなど
判るわけもない。
「……バージル……」
双子の兄には、このことは知られているのだろうか。ソファーにいたはずの自分が、あえて
ベッドに寝かされていたという事実をどのように受け止めれば良いのか、ダンテには判らなかった。
何をどう繕ったところで、ネロと関係を持ってしまったことに変わりはないのだから。
(最悪だ)
ネロとは、確かにキス程度ならば何度かしたことはあったけれども、まさかセックスをすることに
なろうとは夢にも思わなかった。気の置けぬ親友(悪友?)だと思っていたのだ。しかしネロは
違った。ネロが自分をセックスの相手として見ていたということに、ダンテは相当のショックを
受けた。
いや、いや。そんなことは後から考えれば良いことだ。今は、そう。兄にこのことが露見して
いるか否かということであって。
折しも、ドアの開く音がダンテの耳に届いた。それが処刑執行の音であるのかどうか、ダンテには
まだ、判らない。
「よく眠れたか、ダンテ?」
低い、よく響く声音はダンテの気に入りであり、同時に恐怖の対象でもある。
リクエスト第7弾、4ネロ3ダンでした。
前回のリクものとは別次元の4ネロ3ダンと認識していただけると良いかと。
こちらはネロがサンテのところに、前回のものではサンテがネロのところに、
それぞれちょっとしたタイムスリップ的出会いをしているという感じで。
まぁそんなこんなでこう仕上がりましたが…
お気に召していただけましたなら、リクくださった方のみお納めくださいませ。
[08/11/12]