全機能の停止(――今、俺は何をしたか)
それはまさしく奇妙な現象だった。
見覚えのある顔立ちの男が、高い笑い声とともに自分に斬り掛かって来たのだから、普通ならば
目を瞠ったまま躰を真っ二つされていただろう。しかしネロは不意の斬撃を堅い装甲を持つ右腕で
受け止め、困惑しながらも応戦した。相手にとってネロの反応は望みどおりであったのか、
よりテンションが昂ぶったらしく激しく剣を舞わせネロをたじろかせた。
何よりネロを戸惑わせたのは、彼(見目は確かに人間である)の姿形だ。見覚えのある顔立ちは、
剣を打ち合わせる合間に何度盗み見てもネロの見知った男と酷似しており、しかし別人であると
判るのは、彼はその男よりも随分若いからであった。
赤いコートを翻し、身の丈ほどもありそうな剣を軽々と振るい、そして――
「なかなかやるじゃねぇか」
人を食ったような、声。これは、
「ダンテ?」
思わず、ネロは呼ばわっていた。彼はネロの知るダンテという名の男にあまりに似過ぎていて、
つい、口をついたのだ。
頭上からの一撃を紅い女王の名を冠する愛剣でもって防ぎ、弾き返す。がきん、と鈍くも鋭くも
ある金属音とともに、彼の大剣が背後へ弾き飛ばされた。ネロはそうも力をこめたわけではない。
彼の手から思いのほかに力が抜けていたのだ。
どうしたことか、不審に眉を顰めるネロ同様に、彼もまた訝しげに顔を歪めていた。
「なんで知ってる?」
「え?」
「名前だよ。呼んだだろ、今。なんで、知ってんだ。俺はてめぇなんざ知らねぇぞ」
早口にまくし立てる彼へ、ネロは茫然とした。蒼い双眸をいっぱいに見開いたのは、彼が腰の
後ろから、やはり見覚えのある銃を二挺、引き抜き銃口をネロへと向けたからだ。反射的に、
ネロも改造に改造を重ねた銃を抜く。そして引き金を――
「っ……!」
がばりと躰を起こし、ネロは何度かまばたきを繰り返した。見慣れた自室は相変わらず殺風景で、
床に無意味にものが散らかるということを知らない。
「夢、か……」
ほうと息を吐き出し、限りなく白に近い銀の髪を掻きむしる。ぶちりと何本か毛が抜けたようだが、
気にするほどのことではない。髪を大事にするのは女性であって、男のそれなど洗い晒しで
充分だ。
それにしても、今の今までみていた夢――あれはつい先日、実際に起こったことそのままで、
ネロにとってはあまり良い思い出ではない。あの後どうなったのか、思い出すには苦いものを
噛み殺さなくてはならないのだ。
とはいえ、今もそれを引きずっているかといえばそうではない。たまたま夢にみてしまったから、
こんな苦々しい思いをしているだけのことで、実際にはほとんど忘れていると言って良いほどに
過去のこととなっている。
彼――ダンテとの関係も、今となっては良好だ。誤解のないよう蛇足しておくが、友人としての
良好な関係であって、それ以上の意味はけっしてない。当然だ。誰が男同士で友人以上の関係に
などなるというのか。いや、そういった嗜好の持ち主の存在を否定するわけではなく、あくまで
自分が、ということだが。
さておき、何はともあれネロとダンテの関係は良好を保っている。むしろ世間一般的に見ても、
彼らの仲はかなり良いと言える。当初の出合いこそ最悪であったが、それもダンテの勘違いから
始まったものであり、その誤解は間もなく解くことができた。であるからこそ、現在の関係が
存在するわけだ。
「んん……」
すぐそばから、呻きに似た声が耳に届く。振り返って見れば、めくれた毛布を掻き寄せている
ダンテがいた。寒いのだろうか。先刻ネロが飛び起きた際に、毛布を半ば道連れにしてしまった
らしい。慌てて、彼の肩まで毛布を着せかけてやる。
(悪かったよ)
心の中で詫びて、満足げに微笑など浮かべている彼の髪をさらさらと撫ぜた。その光景はまさしく
恋人同士のそれに違いなかったが、ネロの主張は実のところ全くの間違いではないのだった。
一台のベッドで眠る理由は、狭いネロの家にそれ以外寝るスペースがないからで、初めの二、
三日はダンテがソファーで小さくなって眠っていたのだけれども、腰が痛いと言って無理矢理
ベッドに潜り込んできたのだ。狭いと文句を言っていたネロも、それが四日も続けば文句を
言うことに飽き、そして慣れもした。以来、夜になれば当たり前のように二人でベッドに
寝そべって眠る。
ダンテは人の体温がそばにあるとよく眠れるらしく、ネロの脇にくっついて丸くなるのが常だ。
猫みたいだと思いながら、邪険にする理由も見つけられず、放っているネロである。
そうして、この一見奇妙な光景は生み出されたわけだが。
ネロとしてはまさか、彼とこのように一枚の毛布に包まれて眠ることになろうとは、夢にも
思ってはいなかったわけで。
(べつに、良いけど)
彼とは歳が近いせいか、ともにいても気負うものが一つもないのだ。ネロの知るもう一人の
ダンテなどは、気負うも何もあちらが常に上位にあるため対抗心を燃やさぬわけにはおれない。
それと比べれば、彼との関係は甚だ快適と言えた。気楽。一言で言うならばその言葉に尽きる
だろう。
他人とこういった穏やかな関係を築いたことのないネロにとって、彼はまさに希有の存在となって
いる。
ぴくりともしなくなった彼の髪を、何気なく指に巻き付けながら、もう起きてしまおうかと
ぼんやりと考える。ちらりと見やった時計は午前七時を指していた。彼は昼まで目覚めないという
確信があるが、ネロはいつも午前七時半には起床する。あと三十分、とろとろとまどろむのも
良いけれども、さて。
(それにしても、よく寝るよな)
無論、ダンテのことだ。彼が朝に極端に弱いことは、同じベッドでともに眠る前から判っていた
ことだった。まず、朝日のあるうちには起きない。決まって昼を少し回ったころにもそもそと
起きてあくびをする。まだ眠そうな表情に呆れてしまったのは、それこそ初めだけのことだった
けれど。
それなりに朝の早いネロからすれば、なぜそうも眠っていられるのかが判らない。その気になれば
一日中でも寝ていられると、自慢にもならぬことを豪語した彼にネロは脱力してしまった
ものだ。
くるくると髪を指に巻き付け、つんと引けば、さらさらの髪はするすると一人でに解けていく。
彼の髪は驚くほど艶があって、髪だけ取れば女性にも勝るだろう。いや、膚の白さもかもしれ
ない。だが彼は間違いなく男だ。髪や膚が美しいからといって、彼はそれを自慢になどしないし
女っぽいところなど微塵もない。無論、彼も異性愛者で、ネロと一つベッドで眠っていてもそれ
以上の何かを仕掛けてくることも、求めてくることも一切ない。
彼が元いた場所に帰る手段を見出すまでの、ここは一種の仮住まいのようなものだ。ネロは
野良猫に一時の雨宿りをさせるのに似た感覚で、彼の滞在を許可しているのだった。
くるりと、髪を巻き付ける。この感触も、彼がここにいる間だけのことだ。彼はいずれここを
出ていく。野良猫と同じだ。ずっとここにいるわけでは、けっしてない。
(だから、……?)
首をかしげる。今、自分は何を考えていたのだったか、一瞬にして掻き消えて判らなくなって
しまった。ひどく気持ちが悪いけれど、どこかで、思い出さぬほうが良いという声がするようにも
思う。忘れてしまったことに、ほっとしている部分があるようでも、ある。
ネロは軽く首を振り、やはり起きようと彼の髪から手を離した。ぱさりと軽やかな音をさせて、
髪がシーツに馴染む。それを目で追い、再び手を伸ばしかけた理由は何であるのか、ネロは
知らない。ただの気紛れだと思うことにして、意味もなくため息を吐いたとき。
もぞりと、彼が寝返りを打った。
「んぅ……う……」
気配が煩かったのかもしれない。ネロはじっと、眉間に皺を寄せた彼の顔を見つめた。その距離が
やけに近くなっていることに、ネロ自身気付いていない。
はっとしたのは、ふんわりとした柔らかな感触を、なぜか唇に感じた瞬間だった。見開いた
そこには、眠る彼の顔。端正なそれがぼやけるほど近くにあって、ネロは慌てて顔を上げた。
不思議な感触を覚えた唇を、掌で覆う。頬も、首も、耳までもが真っ赤に染まっている。
(何を、俺は)
いったい何をしようとしていたのか――いや、もうしてしまった後なのだけれども、けれども、
だ。
口を押さえたまま、ネロはベッドから飛び下りた。狭い家に似合いの小さな洗面台に向かい、
冷水で顔を洗う。はぁと息を吐き、目を上げた先の鏡の中には、顔を赤く染め上げた男が一人、
途方に暮れた様子でこちらを見つめていた。
(こんな顔じゃあ、)
彼の目覚めまで約五時間。それまでに、いつもの自分を繕うことが出来るのか。若いネロには、
まるで見当もつかない。
リクエスト第6弾、4ネロ3ダンでした。
ハロウィンはいっそスルー。で良かったのかどうか…(ガクガク)
ネロが偽者くさくて申し訳ないです;;
こう仕上がりましたが、お気に召していただけましたなら、
リクくださった方のみお納めくださいませ。
[08/11/06]