隠しごと(――それは甘美な麻薬)












見上げる月の禍々しいまでの紅に、安堵を覚えるようになったのはいつからだったか。それを 思い出すには、多少、複雑なものを伴わぬわけにはいかず、だから、あえて。
ごちゃごちゃと考え込むことは、自分の性には合わないから。







いつものように、ダンテは遅い朝を迎えた。目覚めは唐突に訪れるもので、ふっと瞼を開けた ダンテの視界は、しかしまだ何も映し込むだけの覚醒には到っていない。しばらくはぼんやり、 きれいとは世辞にも言えぬ天井を見上げるばかりだ。

「ん……」

二度寝は、心地好い。そのことをよく知っているダンテは、もう五分寝ようかどうしようか、 ゆっくりとまばたきをしながら考えた。

軽く一分は経っただろうか。二度寝は取り止め、ダンテはもぞりと躰を起こした。まだ頭が重い ような感覚はあるが、寝起きはいつもこうなので気にはならない。肩を竦め、寝着を脱いだ。 蒼白くすらある透けるような膚には、昨晩、双子の兄がいくつも刻んだ朱色の花弁が散って いる。

早起きのひどく苦手なダンテだが、寝覚めの機嫌はそう悪いものではない。いつもダンテよりも 先に起きている兄が、ダンテがリビングに顔を出すタイミングでコーヒーを淹れてくれるからだ。 兄好みのエスプレッソはダンテには苦くていけないが、ダンテ用にかなり薄められたそれを、 兄のそばに座って味わうことがひどく好きなのだ。だから、リビングに向かうダンテの足取りは 軽い。








ハロウィンは基本的に子どものための行事だ。夜、子どもらは思い思いの仮装に身を包んで街の あちこちに散らばり、家々を巡っては悪戯をするぞと脅かしお菓子を要求する。家人は皆、悪戯を されるくらいならと快く彼らにお菓子を渡す。そうして子どもらの戦利品は増えていくわけだ。

ダンテも幼い頃、ハロウィンとなれば仮装をし、双子の兄と近所の子どもらと連立って街に繰り 出したものだ。それは今となっては良い思い出であり、くすっと笑みがこぼれるのを止めることは 難しい。
精神面においてまだ子どもの部分を擁しているダンテにとり、この歳になってもハロウィンが近く なると心の浮き立つような感覚が沸いてくる。しかも今日はその当日だ。ダンテの耳には 子どもらのきゃあきゃあいう高い声が聞こえていて、あそこに自分も混じることができたらと、 無理を承知で思っていることも確かだった。が、何にせよ、ダンテはこの場を離れるわけには いかぬのだから仕様がない。なぜならば、今現在ダンテは仕事の真っ最中であるからだ。

「こんな日になぁんで仕事なんかしなきゃならねぇんだか……」

ぼやくが、こちらはこちらで楽しんでいることも確かであり。その理由は至極明白で、久々の 悪魔絡みの仕事なのだ。
ハロウィンの夜に悪魔とダンス。何とも素敵なことではないかと、ダンテの頬にはいつにも増して 笑みがある。子ども時分に戻ってハロウィンを楽しむのも魅力的だが、今の己にはどちらが合って いるかといえば、やはりこちらだろうとダンテは思う。

兄は、別の場所で似たような仕事をこなしている。本当なら今この場に兄もともにいる筈だったの だが、今朝方唐突に依頼が舞い込んだお蔭で別行動を余儀なくされたのだ。これが悪魔絡みの 仕事でなければ、ダンテは今ごろ、かなり不機嫌であっただろう。

金切声を上げて襲いかかってきた黒い影を、ダンテはひょいと肩を開くことで避けた。互いの影が 交差する瞬間、右手で銃を引き抜きそれの頭部であろう箇所に弾を撃ち込む。ダンテの魔力を 帯びた弾丸は、正確に悪魔の命を削り取る。短い断末魔の叫びを上げ、塵となってはらはらと コンクリートに降り積もった悪魔の成れの果てを、ダンテはブーツの底で踏みにじって次なる 標的へと身を踊らせた。



群がっていた悪魔どもが、じりじりとおかしな行動を取り始めたのは、ダンテが両の手で余るほども 悪魔を屠ったころだったか。

「? なんだ…?」

何ごとにも鈍いダンテであるが、こういった時まで鈍いかといえばそうではない。無謀、無茶、 無策、三拍子の揃ったこの便利屋は、これでも界隈一の腕利きなのだ。

ダンテの周囲ぐるりを取り囲んでいた悪魔らが、何やら先を競うようにしてどこぞへ逃げ出し 始めた。恐怖の声を迸らせているものまでおり、まったく異常としか言いようがない。が、不審を 覚えたのはほんの一瞬のこと。この現象の根源を、ダンテはすでに察していた。
すっかり悪魔どもの消えた路地には、ダンテただ一人が佇んでいる。じっと、通りへと抜ける 方向へ視線を注いでいると、

「何を捜している?」

低いバリトンがダンテの耳をなぞった。真後ろからだ。しかしダンテは驚くこともなく肩を竦め、 べつに、と一言ぼそりと落とした。背後からひそりと近寄った男が、くっと喉を鳴らしたのが 判る。

「……何の用かって、どうせ訊いても無駄なんだろ」

ため息混じりに言うダンテの耳へ、男はくつりと笑みを落とすばかり。いつも、この男はそうだ。 決まってダンテが一人で仕事をこなしているときに姿を現し、そして、やはり手前勝手に姿を消す。 何のつもりなのか、何度も問うたが明確な答えが返って来たことは一度もない。ただ、何をか 愉しんでいるらしいことだけは、その声音で充分に判るのだけれども。

「甘い匂いがするな」

出し抜けに、男が言う。ダンテは一瞬きょとんとし、首をかしげてようやく甘い匂いとやらの 原因に突き当たった。

「ケーキ喰ったからだろ。さっき」

兄お手製のチーズケーキを、ダンテは出かける前に嬉々として食べたのだ。それが、男の言う ところの甘い匂いの出所に違いない。それ以外ににおいの根源など思いつかないというのも、 ある。

「あんたも、甘いもんは苦手っていう手合いか?」

くすりと笑いを含んだ言葉に、背後に影のように寄り添う男は何を思ったのか。わずかながらに 眉を顰めたかもしれないし、何の反応も示さなかったかもしれない。どちらにせよ、ダンテが知る 必要のないことだ。

男とは、かつて敵として相対した。完璧な人型を取っているが人間ではなく、その本性は醜悪な 容姿をした魔獣だ。その背中には本体の醜さとはかけ離れた神々しいまでに輝く翼を有していると いう、魔界にあってすら異質と言わざるを得ぬ悪魔である。
その、悪魔と。一時は激しく交戦したわけなのだが、今やこうして、互いに殺気すら見せず言葉を 交わす間柄となっているのだから奇妙なことこの上ない。何よりダンテ自身が、自分たちの関係を 最も奇妙だと思っているのだ。男のほうはどう考えているのかなど、ダンテが知るよしもない。

「それで、人の仕事の邪魔してまで何がしてぇんだよ?」

どうせ姿が見えたからとか、そんな理由にもならぬ理由を吐くのだろうと思いつつ問うたダンテの、 右肩に男の手が触れた。柄にもなく、ぎくりとしてしまう。そんな自身が嫌で、ダンテは男には 判らぬよう唇を噛む。

「今宵は妙に、餓鬼どもが騒がしい」

寝ていたところを無理に起こされたかのような渋った声音に、ダンテは思わずくすっと笑った。 男が「何だ」と不機嫌になるでもなく言う。

「今日はハロウィンだぜ? ガキが騒ぐのは当たり前だろ」

それが仕事みたいなもんだと、男に理解できるかは別として教えてやる。案の定、男が眉を顰めた のが気配で判った。不可解だと、ぼそりとした声が妙に鮮明に耳に滑り込んでくる。そりゃそう だろう。ダンテはまた、笑った。

「悪魔に人間のことが理解できてたまるかよ」

「では貴様には可能なのか。貴様は、どちらをより理解することが出来る?」

嫌なことを言う。この魔獣、やはり性根が悪い。以前、件の塔の奥底で対峙したときにはなかった 何かが、この悪魔をどこかしら変えたことは確かであろう。何があったのかは、ダンテには少し だけ興味がある。

「どっちだって良いだろ。あんたには関係ねぇことだ」

言えば、男は鼻を鳴らしてダンテの肩を不意に引いた。男の力は、強い。膂力を武器にする 魔獣らしく、その本質的な力は他者を悠々圧倒する。ダンテの躰がぐらりと揺れ、すぐ背後の男の 胸へとんと倒れ込む恰好となった。男の手が、ダンテの顎へ伸びる。くいと顔を上向きにされた 次の瞬間には、唇を塞がれていた。何で、などと野暮なことは訊くものではない。

「ん……っ」

鼻に抜ける、意図せず甘い吐息を。男は何を思って聞いているのか。ダンテは薄く閉じた瞼の 隙間に映る、男の精悍な顔立ちを見つめぼんやりと思う。疑問は他にもある。なぜこの男は こんなことをするのか、だとか、なぜダンテが一人で仕事をしていると決まって姿を現すのか、 だとか。
最大の疑問は、男にこうされて、なぜ自分は嫌だと思わず享受してしまうのかということで。

角度を変える都度、深さを増していく口付けに。ダンテの吐息もまた、甘さを増して。

「ん、ふ……っ」

おののく舌をきつく吸われては、下肢がずくりと疼くのを抑えられなくて。ダンテはきゅっと、 瞼を閉じる。男によって与えられる快楽をやり過ごそうとしてのことではなく、むしろ、 焦れったさすら感じる快楽に神経を集中させるために。
罪悪感は、当然ながら、ある。しかし。

(む、りだよ)

これは麻薬と同じだ。いつも双子の兄から与えられる麻薬とはまた別種の、こちらはこちらで強く くせのある麻薬。だから、止められぬ。もっと欲しいと思ってしまう。――浅ましく、そして 愚かしくも。

男は唇を重ねたまま、ダンテの躰に空いた片手を這わせてくる。紳士的な素振りはまるで感じ させぬというのに、男の手はやけに慎重にダンテの躰をまさぐる。そして狙いをつければそれまで、 後は乱暴な獣の本性が顔をあらわにする。当然、ダンテは食われるまでだ。

「はぁ、はぁ……っ」

荒っぽい息が路地に満ちる。それを煩いとも耳障りだと思う余裕すらダンテにはなく。

「やはり、旨いな」

首筋に食らいつき、笑みを浮かべているのだろう男の囁きだけが、外部からの音としてダンテの 耳をくすぐる。

ハロウィンの夜が更ける頃、ダンテはただ、ひたすらに闇に棲む獣にその身を貪り尽くされて いた。








朝は、けして機嫌の悪くないダンテである。しかし時折、ほんのわずか、拗ねたように眉間に皺を 寄せていることがあった。それはまったくの無意識で、当たり前のことだが無自覚であって、 ダンテとしてはいつもより眠くて頭が重いと感じている程度の、ささやかな違いだ。
けれども毎日顔を合わせるものからすれば、その表情の違いは明らかなもので。しかもそれが、 双子という間柄であれば、気付かぬほうがおかしいという話で。

「……ダンテ、」

自覚のないダンテは、兄の静かな呼び掛けにつと顔を上げ、あくびを噛み殺しつつ呑気に首を かしげた。

「なに?」

残り香とも言える獣の魔力の残滓を、自分がその身に帯びていようとは、ダンテが気付いている わけもなく。







紅い月が、今宵も煌々と闇を照らす。



















戻。


リクエスト第5弾、ベオダンでした。
ええと…久し振りにベオ書いたわけでして…(汗)
こんなんだっけ?あれ?と思いながらでしたが、いかがなものでしたか。
だいぶ不安は残りましたが、よろしければリクくださった方のみお納めください。

[08/11/06]